即興実験学校Improlabo part2
1.ワークの内容
1)基本情報
2)ワークの種類
2.ワークを振り返って
3.全体を振り返って
1.ワークの内容
1)基本情報
回数:単発回
料金:1枠2000円
日時:2021年2月13日(土)13:30〜15:30
16:00〜18:00
場所:池袋駅周辺某所
人数:10名前後
2)ワークの種類
①空間歩行
肌に物が触れる感覚を空間に拡張させたイメージを持って、歩く。
②キネティックダンス
空間歩行の発展系ワーク。
(い)こころのなかで1番と2番を決め、その人たちと自分とで三角形をつくるようにして歩く
(ろ)こころのなかで1番と2番を決め、1番を好きな人、2番を電柱とし、2番の電柱に隠れるようにして1番をストーキングする
③意識を変えて関わるワーク
協力者ふたり。ひとりの人に、もう一方の人を『好き』という設定で関わるよう耳打ちして短いシーン。今度は『好かれている』という設定で関わるよう耳打ちして短いシーン。嫌いVerも。
④インスタントストーリー
ワンシェアドストーリーのような形式で、語りはじめが設定されているワーク。
⑤インタビュー
ペアになって1〜2分でインタビュアーが一方にインタビューをする。この日は小さい頃の話しについてがテーマ。
⑥ライフ・ゲームに繋がるワーク
インタビューとインタビューを受ける人に加えて、アクションを取る人ふたりでのワーク。インタビューを受ける人は記憶のアルバムを開くようなイメージを持つ。アクションをとった2人の静止図を過去の思いでの写真と見立て、それが過去のどんな場面だったか、連想した内容を語るというもの
2.ワークを振り返って
即興実験学校でのワークショップは、ワークに入る前に自己紹介と今日どんなことができたらいいかを共有する時間があります。私は、【舞台の上で緊張しないために】ということをあげさせてもらいました。
私以外の参加者の方で、仕事において近々従来の形に戻るのだけれど、ここ1年リモートばかりだったので【現実感を取り戻す】ことをやっていけたら、ということをあげてくださった方がいました。
①空間歩行は、このことを狙いとしたワークでした。空間歩行はワークをする場所を自由に歩いてみるというものなのですが、歩行に入る前にファシリテーターの方から「肌にものが触れる感覚」を思い出してみるようにとの言葉がけがありました。
そしてその感覚が、少し空間に広がったイメージで歩行してみてという指示のもとはじまりました。いままで体験したことのないような人との距離感を感じ、同じことをしていてもイメージを持つだけで、質の異なった体験を得ることができるということを実感しました。
②キネティックダンスは、空間歩行に目的を付与したワークといった感じでした。三角形を作りながら歩くという全員共通の目的があるのですが、ひとりひとりが誰を選んで三角形を作って歩こうとしているのかがわからないため目的達成は困難です。それでも目的達成のためにあれこれ動き回っているというのは、どこか面白かったです。
考えてみると、動き自体に停滞がおとずれることはなく、また規則的ではないといった点は、面白さに繋がっていたかもしれません。ひとりの動きが全体に影響を与えるので、縮小版ではありますが、バタフライエフェクトというにふさわしいことが起こっていたのではないかと思います。
それにしても、目的があると動きにハリがでますね。
次のストーカー設定でのキネティックダンスも同じですが、目的を達成するために必死になっている心身の感じ、というのは実際に即興劇しかり、台本芝居をする上でも活かしていきたい感覚だなと思いました。
③のワークは、過去に別の場所でやったことがありました。自分がどういう意識を相手に持っているかで関わり合いに影響が生じるのは観ていてわかるものでした。
しかし、相手からどう思われているか、という思い込みとでもいうのか、そういった意識を持つことでまた関わり合いに変化が生じるのは面白かったです。
自分が相手をどう思っているか、相手に自分がどう思われているか。似ているようで違うこの2つの意識というのも、今後の演劇に活かしていきたいと思いました。
④のインスタントストーリーは、たとえばですが、
「私は〜」
「1年前の今日〜」
「そこで〜」
「実は〜」
「でも〜」
「最後には〜」
といったように、一文ごとの始まりの言葉が設定されていて、これに沿って一人一文ずつ連想される物語を続けて話していく、と、簡単に物語が皆で作れてしまう!というものでした。
いきなり何もないところから連想して言う、というのは人にとっては難しいことかもしれません。なので、このようにはじまりの文が設定されているというのは、自由な連想が苦手な方にとっては有り難いものと考えられます。
⑤のインタビューですが、私はこの日のこのワークが最も記憶にも感覚にも残っています。やったことは、ペアになって、一方がもう一方に、過去のことを質問するというものです。なんら変わったことをしたわけではありません。
ちなみに自分がした質問は「記憶がではじめた頃の、おそらく一番最初のものと思われる」「初恋は」といったことでした。
では、なぜ、記憶にも感覚にも強く残ったのか。ファシリテーターの方の言葉が大きな要因でした。ファシリテーターの方は、
「即興のときも今のような感覚で聴いたりできていたか」
といったことを言われたのです。
ハッとしました。このワークでは、相手の話しを真剣に聴いている自分がいたことがわかったのですが、なぜ真剣に聴いていたということがわかったかというと、即興での関わりにおいて、同様の感覚が持てていない、という気付きがあったからです。
語るという行為は、相手に対する信頼の程度によって、内容が変化するものと私は考えています。信頼できる人には自分に近しい個人的な話しなどを、そうでない相手には自分から遠い今日の天気やニュースの話しなどを、我々はしていることでしょう。
こういった考えを持っているため、インタビューでは個人的な話しをいきなり訊ねるので、語ってくれた相手に傷つきの体験を与えてはならないと思い、聴き受け止めることに真剣になっていたように思います。
相手に対する態度としては舞台上でもきっと変わらないはずですが、なぜ舞台上だとインタビューで聴くような真剣さが伴っていないのだろうと、そのようなことを今も考えています。
インタビューを振り返ると、そこで相手が語る話しを真実として認識して聴き入れている部分は大きい気がします。即興で相手が語る話しは、どこか作り話、フィクション、相手とは遠いことの話しと思って聴いているようには感じます。
いかに真実として聴き入れられるか。この点はすごく検討の余地ありという感じがします。
⑥のライフ・ゲームに繋がるワークは、インタビューの延長のワークのような形で、その人の過去の記憶を借りて行なわれるものでした。
実際の個人の過去を借りるため、とても危険性が伴います。下手をするとトラウマを掘り起こしてしまったり、笑い者にしてしまったりといったものになってしまいます。
このようなためか、本来のライフ・ゲームを行なうにはライセンスが必要なのだそうです。ファシリテーターの方とワーク終了後にお話をさせていただいたのですが、やはりとても危険なものであり、そういったことへの理解と、危険を感じとる繊細さや敏感さがファシリテーターにないと難しいものであるとのことでした。
その方は、サイコドラマやドラマシアターなどをご存知でした。いずれも心理学が関係しているものであり、治療的意味合いが伴うものでもあります。これらに関する一連の話しの後、ライフ・ゲームの危険性について「心理学をやっているならそこのところわかると思う」と言われ、その言葉でああなるほどやはりそういうところのセンスが必要なものなのかと腑に落ちたりということもありました。
サイコドラマは演劇的手法を用いた集団での心理療法です。日本におけるサイコドラマの権威者でもあった故高良聖先生は、明治大学でサイコドラマのワークショップを行なっていました。
大学生の頃、月一回開催されるこのワークショップに地元から新幹線で通っていたのが懐かしいです。
うまく言葉で表現することができないのですが、本当にすごい人、という印象が強かった先生です。なにがすごいかというと、場の心理的安全性のつくりかたと、そしてなにより問いのキレ。
私が尊敬する臨床家の方々は、共通して【問い】にキレがある気がします。
キレがなんなのかというと、それが非常に難しいのですが、問いを聴くと「あぁ、そうかなぜそこに気がつかなかったんだ」「あ、そういえばそれって」と深い洞察に導かれ、カタルシスともいうべき感覚を伴うのです。
いわばキレのない問いとの違いがここにあるように思います。
以下の著書は、心理劇・ロールプレイングを実践する方にとても参考になるものですので、ご興味のある方がいらしたら、ぜひお手に取って頂ければと思います。
それではまた次回